2月の一言

『永遠の0』を鑑賞して

先日、若者の間でブームを起こしているという映画『永遠の0(ゼロ)』を鑑賞した。全編を通じて久方ぶりに上映中、涙を禁じ得ない感動的な映画であった。
こういう映画を見て、現代の20代・30代の若者は何を考えるのであろうかということがまず頭をよぎった。純粋に人間の心を動かすという意味において、そこには男の生き方があり、また家族への愛情、あるいは友への友情等々の感動がある映画である。ただ、政治に手を染めた人間として私がこの映画を見て、つくづく思うことは、もちろん太平洋戦争は今から思えば何とか戦争をしないで済む方法はなかったのかを考えることになるが、しかし戦争を始めてしまった以上この国、特に軍部は本当に勝利に向けて頑張ったのだろうかということが問われなければならない。
明治の日清・日露戦争で戦った将軍に比べて、太平洋戦争時の将軍の軍人としての資質に私は常に疑問を感じてきた。それが映画の中で主人公の言葉を通じて描かれている。例えば日米海戦の命運を決したミッドウェーの戦いにおいて、空母を見つける事ができなかった日本軍はミッドウェー島を攻撃する為に爆弾を積み替えた。そうしている間に、米軍に攻撃を受け致命傷になるのであるが、主人公は「空母が見つからなくても必ず近くに居るのだから、この状況の中で敵の空母を攻撃する爆弾を積み替えるのはなぜなのか。」と語った。その言葉に象徴されるように、完全に司令艦隊の上層部の判断のミスであったと言わざるを得ない。
また、主人公が指摘するようにラバウルからガダルカナルへ片道3〜4時間をかけて行けば、戻るための燃料のことを考えれば現地での滞空時間は僅か10分近くしかない。なぜ、そんな無駄な事をするのかと言葉にして上官に士気を落とすと殴られるシーンがあった。ここにも全く合理的でない戦略を強いられた気の毒な日本軍の姿が見られる。
そして、最後には必ず命を落とすことになる特攻という作戦が、日本の勝利に向けてどれだけ意味のある戦略だったのか。九死に一生という言葉があるが、特攻は腕の良い者は敵艦にあたって死に、腕が悪い者は敵艦に届かず海上に落ちて死ぬ。このような作戦を強いた上層部の無能さが責められるべきであろう。
この映画を鑑賞して思ったことは最近の日本の政治である。郵政民営化のようなアメリカの言いなりになる法案に反対し、私は自民党から追放された。また、日本の今の状況からして消費税の増税よりは経済成長を図るべきであるという主張もまた、全く民主党政権に受け入れられなかった。ということを振り返る時に、映画の主人公『宮部久蔵』は死んでみせたが、私はできるだけ生き永らえてこの国の再生の為に働かなければならないと改めて思うのである。

Copyright© 2007-2016 Office Koki Kobayashi All rights reserved.